2017年7月28日金曜日

本日、戦争体験を語り継ぐ会

本日より、子どもたちに伝えたい

戦争体験を語り継ぐ会

2017年7月28日(金)~30日(日)

本校軽音同好会の生徒、6名が参観!

        ↓  ↓  ↓ リンクへGO! https://www.facebook.com/noriko.tanaka.16752754/videos/1994858337396404/



本日、風岡公災第1回控訴審!!

本日、風岡裁判控訴審 

7月28日(金) 名古屋高等裁判所にて

控訴審は、続審ともいわれます

口頭弁論では、不服申立書に対し、反論した準備書面の説明を行いました

これで基金側の控訴に対する反論となります

次回は、10月2日となります

2017年7月20日木曜日

第2回 21世紀の深川を創る会



本日7月19日は、学校施設と通学路の2点に絞っての

話し合いでした。

小中一貫校の通学は


第一回の時に頂いた資料

「モデル地区における小中一貫校への通学について」に

載っているフローチャートの順に検討。

第1段階として、

夏休み中に、通学路の合同点検

(国、県、警察、学校、PTA、地域、教育委員会)が

行われます。

深川地区の点検は、


8月8日(火)の9:30から深川小学校を起点に、

2~3時間行われます。

次回は9月21日(木)19時からです。

9月の上旬に一貫校の間取りが出来るそうなので、


その事についての説明。

他は、8/30東明、9/7古瀬戸、9/12祖母懐、9/14道泉と

説明会の日時が決まっていて、

深川は、21日だと他の所より遅くなってしまうからと

市役所の方の提案で、

資料は先に頂けるようです。



2017年7月15日土曜日

速報!東尾張1部リーグVS瀬戸高


Uー18・東尾張地区1部リーグ

瀬戸窯業 1 VS 3 瀬戸高校

残念・・・1年生3人も頑張っていましたが・・・


がんばれ!瀬戸窯業サッカー部!!



その後、中部大学第一Bと旭野の試合がありました

第一は、元グランパスの飯島さん、伊藤裕二さんが指導者として来校!

1、2年主体のチームにもかかわらずです・・・

中部大第一の強さを実感しました!


2017年7月14日金曜日

第1回 瀬戸市小中一貫校開校準備委員会



6月29日、このような会が始まっているようだ・・・

知らなかった・・・



瀬戸市小中一貫校開校準備委員会

ページ更新日:2017年7月12日

 本市のモデル地区における小中一貫校の開校に向けた準備を円滑に推進することを目的に、瀬戸市小中一貫校開校準備委員会を設置いたしました。

 ・委員名簿

次回委員会のご案内

日時

平成29年8月28日(月)午後3時から

会場

瀬戸市役所 4階 大会議室 




委員会の会議は、どなたでも傍聴していただけます
◎ 申し込み手続き
 ・ 受付時間は、会議開始予定時刻の1時間前から15分前までです。
 ・ 会議の当日に、会場へお越しいただき、傍聴申込書に住所、氏名を記入してください。
 ・ 傍聴を希望される方が多い場合は、抽選を行う場合があります。 
 ・委員会傍聴要領

過去の開催内容


第1回(平成29年6月29日開催)  第1回会議資料  第1回議事録


 瀬戸市HPより

深川盆踊り大会!




夏休み英数勉強会、参加しませんか?

2年前まで、夏休みや冬休みに

算数教室を行っていましたが

久しぶりにやってみたいなと考えています!

さすがに中学生で算数ではないので

英語と数学
でしょうか?

日時 : 8月8日(火) 9日(水) 

     9:30 ~

場所 : 我が家  

☆ ☆ ☆ タイムスケジュール ☆ ☆ ☆


 9:30 
  ↓     数学
10:20

10:30 
  ↓     英語
11:20



11:30 
  ↓     確認テスト
12:10

   ≪ ごはん ≫

ごはんの後、解散 または サッカーの準備


8日 14:20ごろ
9日 12:45ごろ
     ↓
トヨタスポーツセンターへ

東尾張地区1部リーグVS瀬戸高

あす、 Uー18・東尾張地区1部リーグ

瀬戸窯業 VS 瀬戸高校


明日の相手は、地区リーグ3勝1敗・現在3位の瀬戸高校!!

けが人が出ている窯業FC、粘り強く戦え!!

明日は、本部席から見守っています!!

がんばれ!瀬戸窯業サッカー部!!

2017年7月8日土曜日

歴史に「愚」を学ぶとき 盧溝橋事件80年

歴史に「愚」を学ぶとき 盧溝橋事件80年 

 北京郊外で旧日本軍に銃弾が撃ち込まれた盧溝橋事件から八十年になる。これが八年間に及ぶ日中戦争の発端になった。止められた戦争と歴史は教える。
 十三世紀にイタリア人のマルコ・ポーロが「東方見聞録」で「世界一美しい橋」と西欧に紹介した。橋のたもとには十八世紀の乾隆帝の筆による「盧溝暁月」の石碑も立つ。
 一九三七年七月七日夜。日本軍の支那(しな)駐屯軍は盧溝橋近くで夜間演習をしていた。橋の東岸には宛平県城があり、城を守る中国兵の姿があった。演習前に中隊長は「支那兵に向けて、挑発的な行為や言動があってはならない」と訓示している。

「撃たれたら撃て」の命令

 午後十時半ごろ。いったん夜間演習を中止するため、伝令を走らせると、背後から三発の銃声が襲った。ひゅー、ひゅーと、空気を切って飛ぶ、弾丸の飛行音が聞こえた。さらに十数発もの弾丸が…。兵隊たちの頭上をかすめて続けざまに実弾が飛んだのだ。
 けたたましいラッパが鳴った。残る二個中隊と機関銃中隊、歩兵砲隊が動きだした。大隊が集結したのは翌午前三時ごろである。また三発の銃声があった。
 北京市内にいた連隊長の牟田口廉也は緊急連絡に「敵に撃たれたら撃て」と指示した。総攻撃の命令に他ならなかった。
 中国国民党の指導者蒋介石は日記に「倭寇(わこう)は盧溝橋で挑発に出た。(中略)われわれを屈服させようというのだろうか?」「宛平県城を固守せよ」(蒋介石秘録)と書いた。
 盧溝橋事件で日本軍は死傷者を出したわけではない。また、誰が発砲したのか、いまだに諸説あって不明なのである。
 それなのに国内では既に「蒋介石など一撃で倒せる」という「強硬論」が沸き立っていた。

拡大・不拡大で割れる

 参謀本部の作戦課長、陸軍省でも軍事課長らが主張した。陸相の杉山元ら幹部も拡大論だった。
 むろん不拡大論を強く主張する者もいた。参謀本部作戦部長の石原莞爾がそうである。戦争指導課や陸軍省軍務課の多くも「不拡大論」であった。
 軍部の中でも「拡大」「不拡大」の意見が真っ二つに割れていたのである。
 首相の近衛文麿は不拡大方針だった。かつ現地で停戦協定が成立したにもかかわらず、華北への派兵が決定し、戦争拡大へと歯車は動きだした。盧溝橋事件は幾重にも謎に包まれている。それなのに戦争を始める。「愚」である。不要な戦争であった。
 七月十七日になると蒋介石も「最後の関頭」と呼ばれる有名な談話を発表した。徹底的な抗戦で民族を守る決意の言葉である。そして、中国国内で対立していた国民党軍と共産党軍とは「国共合作」で手を結び、ともに抗日戦争を戦うことになった。
 日中戦争は華北での戦闘ばかりか、上海での戦闘もはじまり、日本からは派兵に次ぐ、派兵…。全面戦争に陥った。泥沼の戦争と化していったのである。
 終結の見通しもなく戦争を始めるのも「愚」、莫大(ばくだい)な戦費を考えないのも「愚」である。首都・南京を陥れても奥地へ逃げられると考えないとしたら、これも「愚」である。背後からソ連に突かれないと信じた「愚」もある。
 そもそも戦争の公式目的が「中国を懲らしめるため」である。そんな荒っぽい理屈が当時の国際社会に受け入れられるはずもない。戦争の名目さえ立たなかったのも「愚」である。
 むろん途中で幾度か和平の道も探られた。しかし、そのたびに日本は相手に厳しい要求をするため、和平はとても成立しなかった。寛容さがあれば、戦争を止めることもできた。和平を台無しにした「愚」もあるのだ。
 日中戦争ばかりでない。三一年の満州事変は、何と日本の「自衛権」の発動として引き起こされた。それ以後、中国東北部は日本軍の占領下に置かれ、やがて満州国がつくられた。日本の傀儡(かいらい)国家としてである。
 この問題については、有名なリットン調査団が報告書をつくり、三三年に国際連盟総会で採択が行われた。その報告書に不満を持った日本一国のみ「反対一票」を投じ、国際連盟を脱退した。

平和主義変質の今こそ

 日本の国際的な孤立はこのときから始まる。この「愚」こそ、日中戦争にも、のちの太平洋戦争にも確実に結び付いている。
 戦争の歴史は私たちに示唆に富んだ教訓を与える。戦後七十二年になる今、平和主義の道を進んできた日本が「戦争のできる国」へと変質しつつある。
 こういう時こそ、歴史の「愚」を学ぶときであろうと思う。

中日新聞 社説 7月7日

諏訪哲史のスットン経





あいち・平和のための戦争展






リバーサンド・ストーリー




ゴリ夢中 来校!!




なくせ教員の長時間労働 中






PSLMCライブのお知らせ

PSLMCは、3月19日 保護者・OB感謝ライブを行います!! 開催日  2024年3月19日(火)19:00~20:30  会 場  愛三文化会館(大府市勤労文化会館)/くちなしホール   〒474-0056  愛知県大府市明成町1丁目330番地(JR 共和駅徒歩10分)  会...