2017年12月29日金曜日
2017年12月25日月曜日
学校での働き方 先生のやる気を支えよ
中日新聞 社説
子の健やかな成長を願えばこそ、先生には元気で頑張ってほしい。世の親たちのそんな思いにも応える働き方改革を切望する。中央教育審議会が方策の中間まとめにこぎ着けた。ピッチを上げねば。
文部科学省の最新調査では、「過労死ライン」と呼ばれる月八十時間超の残業をする公立校の先生は小学校で三割、中学校で六割に上る。学校はさながら“ブラック企業”の様相を呈している。
中間まとめは、勤務時間の上限の目安を示す指針をつくるよう文科省に求めた。過酷な現状を見ればもっともだ。
時間外労働の上限を、原則として月四十五時間かつ年三百六十時間と法定化する動きがある。文科省はそれを参考に数値目標を検討し、改善効果を狙うらしい。
社会環境の変化に対応するためとはいえ、学校の許容範囲を顧みることなく業務を増やしてきた一義的な責任は文科省にある。その反省に立ち、先生の業務量を一元管理する部署が必要だと、中間まとめが促したのも理にかなう。
ただ、残念ながら、先生の勤務条件の土台である公立校教職員給与特別措置法(給特法)の見直しには踏み込まなかった。長時間労働の温床と批判されてきた。
先生は自発性や創造性が期待され、勤務時間は区切れない。だから、残業代を出さない代わり月給の4%を一律に上乗せする。時間外勤務は原則的に課さないが、臨時、緊急時の場合は手当抜きで命じる。ざっとそんな仕組みだ。
勤務時間の把握意識が薄れ、サービス残業の増大を招きやすい構造になっている。月給の4%上乗せは、月約八時間という五十年前の残業時間を根拠にしていて、実態から懸け離れている。
同じ仕事を手がける国立校や私立校は、労働法制上は民間企業と同列に扱われる。公立校の先生は公務員として身分を保障されているが、労働者としての権利は蔑(ないがし)ろにされているというほかない。
文科省がつくる指針は対症療法でしかない。給特法の改廃はもとより、柔軟な働き方を可能とする年間変形労働時間制の導入といった法的手当てが欠かせない。抜本見直しは待ったなしだ。
中間まとめは、学校や先生の負担軽減策として教育委員会や自治体、地域住民らとの役割分担を示した。登下校の見守りや給食費の徴収、校内清掃、部活動の指導などを学校外に委ねるのは賢明だ。
先生が意欲とやりがいを持てるよう周りも進んで支えたい。
学校での働き方改革 「中間まとめ」を考える
子どもたちの豊かな成長をはばむような長時間の勤務を、なんとかしてほしい―。学校現場の切実な声にこたえて、中央教育審議会は22日、学校における働き方改革にかかわる「中間まとめ」を林芳正文科相に手渡しました。文部科学省としても年内中に緊急対策を取りまとめると表明。教員がすべてを担うのではなく、地域住民や保護者らへと促す改革案「中間まとめ」について、考えてみました。(堤由紀子)
教頭「5時半ですよ。みんな帰って!」
教員A「うるさいよ」
教員B「帰れません」
毎夕
ある小学校の職員室。毎夕、こんな光景が繰り返されています。勤務時間の徹底管理を任された教頭は、みんなを早く帰らせたい。でも…「私たちは、仕事が終わらないから残っているのに」。50代後半のベテラン教員の声です。
この教員はこの秋、宮沢賢治のゆかりの地を訪ね、「注文の多い料理店」の教材を作り、子どもたちと学び合いました。準備には時間がかかりました。授業を始めてから、「どの子の感想も載せたい」と手間を惜しまずに通信を発行し続けました。それは、通信を楽しそうに読む子どもたちの姿があったから。
「もう、楽しくて楽しくて。忙しかったけど、その間は学校に行くのが少しもイヤじゃなかった」と。子どもの目が輝くなら苦にはならない。こういうことに使う時間なら、生き生きできるのです。
ところがこの間の「教育改革」は、こうした「本来の教員の仕事」をする時間を、根こそぎ奪います。「教員としてのやりがい」を見失っている人たちが多いと言います。
時間
「とりあえず今より勤務時間を短くしなければ、じっくり考える気持ちのゆとりは生まれない。それほど追い込まれている」と警鐘を鳴らします。
「子どもも教員も親もしんどい。そのしんどさを共有しながら、教員が教員であることを取り戻したいんです。子どもたちと教育を営む自由と時間を、私たちにください」
長時間労働 変えたい
負担軽減 正規増やして
「中間まとめ」は教員が担ってきた業務を仕分けし、負担軽減を提案します。(別項)
「児童生徒の休み時間における対応などは、ありがたいですね。トイレさえ行けない教員が多いんです」。こう話すのは40代前半の小学校教員です。
とかく目が足りなくなりがちな休み時間。「校庭に何人かボランティアがいてくれると安心。でも、教員が全然関わらないのではなくて、交代で見守る感じがベストです」
(7)の「校内清掃」で目に浮かんだのは、詰まったトイレを必死に直す教頭の姿でした。一般家庭のトイレと違い、簡単には直りません。しかし、こうした校内の修繕のほとんどは教職員か管理職が担っており「結構な負担」と言います。「こういうものこそ業者に頼めるようにすべきです」
一方で、「(10)授業準備」や「(11)学習評価や成績処理」などは、「外部化」で打ち合わせに時間がかかり、かえって教員の負担が増えると言います。「せめて学校にあと1人正規教員を増やしてくれれば、かなりの部分は軽減されるはずです」
何より大事にしたいのは「学校のことは学校で決める」こと。「自由に話し合う場をつくり、それぞれの学校にあう方策を考えたい」
職員会議 自由な発言を
「運動会のテント立てなんて別に負担じゃないんですよね。当日に微調整も必要だから、業者に頼むとかえって手間がかかるんです」
14項目を前にこうつぶやくのは、40代後半の小学校教員です。
有効なのは「(7)校内清掃」。業者に任せれば、その分の時間を給食指導にあてられるかもしれない。でも…。「これでは楽にならないというものもあれば、こんなことをしたら教育実践がますます画一化されてしまうというものもあって。よく中身を見なければですね」
「まとめ」には「教職員間で業務の在り方、見直しについて話し合う機会を設けることが有効である」とあります。しかし職員会議は年々「上意下達機関」になりつつあります。「職員会議で教員が発言するのを初めて聞きました」と、先日若い教員に言われたばかり。「ものが言いにくい職員室や職員会議を変える機会にできれば」
忙しすぎる部活指導 「メリットはあっても…」
「時間をかけて作っていた学級通信をやめたら、早く帰れるようになりました」
こう話すのは、30代の中学校教員です。早いといっても午後7時か7時半ですが、「周りの中学校教員はもっと遅い」と。「教員の仕事って、やり出したらどれだけでもできちゃうんです。でも『とにかく削れ』なんて上から枠をはめられても困る。いま何を大事にするかは自分らで決めたい」
太鼓部の顧問。地域からは引っ張りだこで、日曜に本番が入ると土曜も練習をせざるを得ません。朝から始めると地域住民から苦情がくるため、午後からしか活動できず、「結局、1日つぶれちゃうのがつらいですね」。
部活について「中間まとめ」は、将来的には「学校以外が担うことも積極的に進めるべきである」とのべています。現在、月に何回かは外部指導者が来ていますが、「今のままでは本来の仕事が回らなくなる」とも。「子どもの成長というメリットはあっても、今のままでいいとは思えない。でも、どこから手を付けたらいいか…」
今回の業務の「仕分け」については、別の角度からの懸念も出されています。「外部の『担い手』が見つからないまま、そこに臨時教員がはめこまれるのではないか」。こう話すのは、臨時教員の身分保障などにかかわる30代前半の高校教員。「懸念を解決するためには、正規教員の枠をもっと増やすことが必要だ」と訴えます。
今でも自治体は、経費削減のために臨時教員などの非正規教員に頼りがちです。「やりがいを搾取されながら、いつも不安と隣り合わせ。そんな非正規教員の『指定席』になってしまったら、私たちの願いとはまったく違う。非正規教員の働き方改革にもとりくんでほしいです」
「中間まとめ」での負担軽減に関する主な記述
【負担軽減が可能な業務の例】
○標準授業時数を大きく上回った授業計画
○必要性が乏しく、習慣的に行われてきた業務
○学校が作成する年間指導計画などで過度に複雑かつ詳細な計画
【教育委員会などの取り組むべき方策の例】
○行政研修の整理や精選
○研究指定授業のテーマの精選など負担面への配慮
【代表的な業務についての考え方】
[基本的には学校以外が担うべき業務]
(1)登下校に関する対応(2)放課後から夜間などにおける見回り、児童生徒が補導された時の対応(3)学校徴収金の徴収・管理(4)地域ボランティアとの連絡調整
[学校の業務だが、必ずしも教員が担う必要のない業務]
(5)調査・統計などへの回答など(6)児童生徒の休み時間における対応(7)校内清掃(8)部活動
[教員の業務だが、負担軽減が可能な業務]
(9)給食時の対応(10)授業準備(11)学習評価や成績処理(12)学校行事などの準備・運営(13)進路指導(14)支援が必要な児童生徒・家庭への対応
2017年12月9日土曜日
問い直す「なぜ戦争を」 日米開戦から76年
2017年12月8日 中日社説
日米の戦争。敗戦と占領、安全保障条約でなお結束されている日米関係-。あの真珠湾攻撃の日から七十六年たつ今、「なぜ戦争を」と問うてみたい。
<嘗(かつ)てペルリによって武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり、復讐(ふくしゅう)だったのである。維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴(はら)すべきときが来たのである>
真珠湾での日本海軍の大勝利の知らせに評論家の亀井勝一郎は、そう書いた。古寺巡礼や仏教美術への傾倒から古典論、日本人論などの著作を通じ、戦後も活躍して、広く知られた。冒頭の言葉は作家の半藤一利氏の「『真珠湾』の日」から引用した。
明治人は「雪辱」の思い
米国と江戸幕府は日米和親条約(一八五四年)や日米修好通商条約(五八年)を結んだ。治外法権があり、関税自主権がなかった。確かに不平等条約であり、明治期は条約改正に苦しんだ。
真珠湾で開国からの屈辱を晴らした-。明治人にはそんな思いがよぎったのだろう。むろん条約改正を果たした間には、日清・日露の勝利がある。
英米憎しの思いは、一九二二年の海軍軍縮条約にもある。主力艦の保有が日本は英米より劣る数しか認められなかった。後の帝国国防方針の改定版では、情勢判断としてこう記す。
<帝国と衝突の機会最(もっとも)多きを米国とす>
国防は衝突の可能性が最も高い米国を目標とし、これに備える-。日米開戦の二十年近くも前からそのように軍部が考えていたとは驚きである。
だが、相手は大国。四一年時の国力差は国民総生産で十二倍、石油保有量は七百倍以上も差がある。それでも幻想があったはずだ。国力差が十倍もあるロシアを破った栄光が幻影となって…。
孤立化の道が原因だ
四一年十二月九日の「新愛知」(現在の中日新聞)朝刊は「戦艦二隻轟沈(ごうちん)・四隻撃破 赫々(かくかく)たり ハワイ大空襲」と一面で大きく報じた。真珠湾攻撃はアリゾナなど戦艦八隻を撃沈・撃破した。日本中が勝利に沸き立った。「万歳」「万歳」で酔った。
冷静だった人もいる。東京帝大で国際法を教えた横田喜三郎(戦後の最高裁長官)は軽井沢(長野)で真珠湾の一報を聞いた。戦後の回想録では「わたくしの心は暗かった。(中略)敗戦は必至であるとおもった」と記している。
横田は当時、真珠湾攻撃は国際法で合法かどうか、東大で講義をした。最後通牒(つうちょう)の在り方、開戦が不意打ちかどうか。その条約について学生に説明した。はっきり不法と言わなかったが、普通の学生には伝わったようだ。東大教授であった矢部貞治の当時の日記には次のように書いてある。
<横田氏は教室で真珠湾攻撃は不法だなどと馬鹿(ばか)げたことを発言している>
実際、通告文書がワシントンの日本大使館から届けられる前に攻撃が始まっていた。この問題が米国の世論を怒らせた。また、日清・日露の戦争では文明国たるべく国際法を守る宣言をしたが、太平洋戦争の「開戦の詔勅」には国際法に類する言葉もなかった。
それにしても日米開戦は回避できなかったのか。人はいう。中国などからの全面撤退などを求めたハル・ノート。決して日本が受け入れられない条件を提示してきたからだ-と。A(米国)B(英国)C(中国)D(オランダ)のABCD包囲網の経済封鎖のせいだと。米国の石油の全面禁輸のせいだと。在米日本資産の凍結のせいだと。でも、この対日制裁はどこから来たのか。
時計の針を逆回しにしていくと-。二八年のパリ不戦条約のわずか三年後に日本は満州事変を起こし、傀儡(かいらい)国家・満州国をつくった。これで日本は国際連盟を脱退せざるを得なくなり、孤立化の道を歩んだのだ。三七年には日中戦争を始める。ちょうど今年は八十年にあたる。
十二月には多くの中国人を虐殺する南京事件を起こしている。二〇〇六年から行われた日中歴史共同研究報告書が外務省のホームページに載っている。
負の歴史を直視して
<アメリカ人記者(中略)などが、日本軍が南京で捕虜や民間人を虐殺した残虐な行為を連続して報道した。(中略)英・米・独などの外交官がさまざまなルートを通じて日本軍が南京で暴行を続けていることを報告し、世界の世論を驚かした>
世界から孤立し侵略戦争を進めたことこそ、日米開戦に至る遠因だったろう。そして惨めな敗戦に至った原因でもある。今、負の歴史を隠す風潮がある。歴史には正直者でなければならぬ。
2017年12月3日日曜日
暉峻淑子 経済学者
◆対話重ねるとき何かが生まれる
「対話する社会へ」。経済学者の暉峻淑子さん(89)が一月に出版した新書のタイトルだ。身近な地域の出来事から国内外の政治まで「対話」をキーワードに読み解き、分断の進む日本社会に警鐘を鳴らす。暉峻さんは「対話は民主主義の基本。戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話」と力を込める。
-対話とは何ですか。
まず、会話は「いい天気ですね」などあいさつや雰囲気を和やかにさせる雑談のことで、人間社会の潤滑油のようなもの。ディスカッション(討論)は問題解決のために議論し提案や結論を出そうとすること、ディベートは論点に対して肯定側と否定側に分かれ、勝ち負けを決めます。
対話は、お互いが人格を認め合い、対等な立場で話します。言う人は、次は聞き手になり、聞かされた人は次に言う。双方向のやりとりです。表情とか、しばらく言葉がでてこないなどのしぐさも効力を発する。なので、対話で自分の心に残ったことはものすごく納得できます。両方の主張を足して二で割る妥協とは違い、対話の中から新しい視野が開け、新しい創造的な何かが生まれます。
-なぜ対話にこだわるのですか。
家族と、恩師と、地域の人たちと。さまざまな対話が私に人間としての生き方を考えさせ、心の中に残り続けています。一方で今、日本の政治は一切対話をしようとせず、議会は多数決で押し切ってしまう。米国のトランプ大統領もそう。危機感を抱いています。
例えば、教育現場では職員会議が否定されました。教員同士が悩みを相談する場がなくなり、対話の代わりに命令と監視が支配する現実がやってきました。教員が上下関係で管理・監督されるようになると、教員と生徒の関係も同じになる。私が経験した軍国主義時代の「口答え禁止」に近づいているように思えます。
沖縄の基地問題も。戦争で県民の四人に一人が死に、戦後は銃剣とブルドーザーで土地を取り上げられ、今、普天間基地を解決するといって無理やり辺野古に基地が造られようとしている。地方分権一括法が通って国と地方は対等なのに、対話もせず、国が一方的に押しつけるのは法律的にもおかしい。
対話で解決できないから、結局力でやろうとするのですね。ドイツには「対話が続いている間は殴り合いは起こらない」という言葉もあります。平和とは受け身で何もしないことではなく、努力してつくるもの。その努力の一番大きなものが、対話です。民主主義社会の出発点であり基本である対話の大切さを繰り返し読んでもらおうと、初めて自分から出版社に企画を持ち込みました。
-「人は対話を求めている」と実感しているとか。
地元で毎月開く「対話的研究会」には、主婦や保育士、銀行員など多様な人が集まります。テーマは地元の道路問題から十八歳選挙権などさまざま。始めたきっかけは、登壇者が一方的に話すだけの講演会に物足りなさを感じたことでした。
会を重ねるにつれ、みんな生の人間との対話に飢えていることに気づきました。最初は「私なんて」と言っていた主婦が、堂々と発表するようになりました。病気など弱みもさらけだせる土壌ができ、そういう会話の中に政治の話も出てきます。社会や政治に批判的な意見を言う人は雲の上の人や思想家ではなく、普通の人なんだ、とわかってくるのが良い。「これっておかしくない?」と疑問に思うことや受け入れられないことを日常的に話し合うことが、社会の健全さを支えます。逆に、対話がないことは、権力者にとって都合が良いのです。
-絵本「サンタクロースってほんとにいるの?」も、親子の対話で展開します。
サンタという全然知らない人が無条件に自分にプレゼントをくれるのは、子どもにとって「世の中はそんなに良いものなのか」と、社会や人間に対する信頼を得る機会だと思います。小学生くらいになって友達に「いないんだよ」と言われたとき、親がどれだけ「いるよ」と言っても、納得できない。子どもが自分なりに「やっぱりいる」と思うには、対話でしか表現できないと考えました。
「(サンタが)こないうちもあるのはなぜ?」という子どもの問いへの答えは、見つけるまで三年かかりました。それは「病気の子のそばで朝まで話し込んでしまって、まわりきれなくなったのかなあ」というもの。あるとき長男が、クリスマスプレゼントの積み木を一本だけ自分のものにして、残りを私によこして「ママのだよ」と、何ももらえなかった私を慰めてくれた。ああ、子どもには、人の悲しみとか喜びがわかるんだ、と。変な理屈ではだめだ、こういう言葉なら伝わる、と思いつきました。
-専門は経済学です。
文学部を卒業後に経済を学び、経済学者になりました。文学を選んだのは、人間に対する興味から。ただ、社会は経済で動く。例えば樋口一葉の小説「にごりえ」の主人公は、貧乏で身を売る。それは、文学だと個人の悲しみに終始する。でも社会保障制度がちゃんとあれば、悲しみの種類は違ってくる。社会が変われば人間も人間の悲しみも変わります。経済の動きを知らないと人間を理解することにはならないのではないか、そう気づいて、経済を勉強しました。
人間の広さというか、多元的なところにすごく興味がある。とても哀れみ深い人は哀れみだけでやっているかというと、経済的な計算もしないと生きられない。けちな人も、けちなだけじゃない。なぜ人間に興味がある人間になったのかわからないけれど、興味がないほうがおかしいと思う。だって人間は集団として生きていて、他人に興味がなければ集団はうまくいかない。私は最も人間的に生まれた人間だと思う。
-対話のある社会をつくるにはどうすればよいのでしょうか。
大切なのは、人間としては皆同じ、という根本に返ってみること。災害ユートピアといわれるように、大きな災害に見舞われたときに人は立場やイデオロギーの違いを捨てて助け合おうとする。それは集団で生きる人間の本能のようなものでしょう。
ベラルーシの心理学者レフ・ビゴツキーは、人間の思考は、幼児と両親の間で交わされる対話の相互作用の中から生まれる、と述べています。大人はわかってもわからなくても幼子に一生懸命言葉をかけ、子どもも応じますよね。人間は対話するように生まれてきた、と私は思います。その本性を呼び覚ますように、相手の尊厳を認め、働き掛け続けることです。時間がかかることも当然あります。
人間の脈は一日十万回打っているそうです。私の心臓も相手の心臓も、ゼンマイも電池もないのに、死ぬまでそうやって毎日拍動を続けて動いている。そう思うと、私はそれだけでも認め合いたくなるのです。そこから対話が始まります。
◆あなたに伝えたい
疑問に思うことや受け入れられないことを日常的に話し合うことが、社会の健全さを支えます。逆に、対話がないことは、権力者にとって都合が良いのです。
<てるおか・いつこ> 1928年、大阪市天王寺区生まれ。日本女子大文学部卒、63年法政大大学院社会科学研究科経済学専攻博士課程修了。経済学博士。ベルリン自由大、ウィーン大の客員教授、日本女子大教授などを経て、埼玉大名誉教授。92年から旧ユーゴスラビアの難民支援に取り組み、2008年にNPO法人国際市民ネットワークを設立、代表を務める。10年から地元の東京都練馬区で近隣住民と「対話的研究会」を続ける。
著書に「豊かさとは何か」(1989年)、「豊かさの条件」(2003年)、「社会人の生き方」(12年、以上岩波新書)、「サンタクロースってほんとにいるの?」(1982年、福音館書店)他。
著書に「豊かさとは何か」(1989年)、「豊かさの条件」(2003年)、「社会人の生き方」(12年、以上岩波新書)、「サンタクロースってほんとにいるの?」(1982年、福音館書店)他。
◆インタビューを終えて
「サンタクロースってほんとにいるの?」が大好きだ。子どもの真っすぐな質問になんとか答えようと考えを巡らす親に自分を重ね、何度も読み返した。思い付くまで三年かかったというあの答えに込められた優しさが、毎回心に響く。
「ヨーロッパではまずお茶からなのよ」と、暉峻先生の取材は紅茶をいただきながらゆったりと始まる。時間も対話の大切な要素。あくせくしていては対話はままならない。先生の自宅で、真夜中の電話で、何時間も対話を重ねた結果がこの記事になった。誰かと誰かの対話のきっかけになればうれしい。
<変わる部活動> (下)民間、地域のクラブ
◆「練習したい」思いに応える
三重県四日市市の相好(そうごう)体操クラブ四日市教室。午後五時、本格的に体操に取り組む小中学生、高校生約四十人の練習が始まる。平日は月曜を除き四時間、土日は七時間練習をする。
峯野葵子(あこ)さんは、同市三滝中一年。「練習して、いい成績を残したい」と話す。八月に全国レベルの大会に出場。中学校単位で参加する七月の県大会には、中学の代表として出て跳馬で二位に。同中には体操や水泳、バドミントンなどの部はなく、それらの競技を校外の民間クラブで練習する生徒は学校に登録し、教員が引率して大会に出る。
体操部のある中学は三重県ではごく一部。中学生の多くは、民間のクラブで練習している。全国でも日本中学校体育連盟に体操競技として加盟する中学は、二〇一七年度、男子で三百九十四校、女子で五百十六校。それぞれ全校の4%、5%にあたる。
相好体操クラブ四日市教室の伊地知慶之ヘッドコーチ(29)は「指導者、設備、練習時間の確保が大変」と、民間クラブでの練習が中心になる背景を説明する。
部があっても、野球は学校外の硬式野球のクラブチームで腕を磨く中学生が多くいる。サッカーや水泳などでもそうだ。教員の多忙化解消のために部活の時間が制限される傾向にある中で、民間クラブが意欲のある生徒の受け皿になっている。教員の過重労働を調査研究する名古屋大の内田良准教授(教育社会学)は「本気で勝ちたい人は民間、そうでない人は部活動」と、すみ分けを提言する。ただ、民間のクラブは、部活以上に費用がかかる。クラブがない地域があるのも現実だ。
◇
部活の一部を地域クラブの活動に置き換える取り組みも進む。
愛知県豊橋市の豊岡中野球部。土曜の練習後、顧問の牧野晃大教諭(40)が話した。「明日はリーグ戦大会。雨はやむから試合をする心積もりで、よろしく」
この「よろしく」には、「明日は三人の野球部顧問がいないけれどよろしく」の意味も込められている。翌日の試合の指揮は、顧問とは別の指導者が執った。
同市は学校が「土日休み」になった二〇〇二年度、中学の日曜の部活をやめ、代わりに近隣住民が指導する地域クラブとして活動している。部の顧問は参加しない。生徒に地域との関わりを強めてもらうのが目的で、練習したい生徒の気持ちも満たし、教員の負担軽減にもつながっているという。
豊岡中野球部は部員二十三人全員がクラブにも参加する。野球部主将の平岩遼馬君(二年)は「指導者が多いから、実のあるアドバイスをたくさんいただける」とプラスに受け止める。
クラブ指導者の経験もある顧問の牧野教諭は「競技の指導歴が浅い顧問には、クラブ指導者の存在は心強い。私自身も日曜日に休んだり、生徒の試合観戦をしたりすることも許される。助かる」と話す。
野球やソフトテニスなど部活が校区単位のクラブに移行する競技もあれば、バスケのように校区単位と広域のクラブが併存する競技もある。
市教育委員会によると、クラブ指導者は競技経験者や元在校生の保護者など。原則無報酬だ。研修などで安全管理について学んでもらい、顧問とも連絡を密に取り合う。部活とクラブの連携はおおむね良好という。
岐阜県多治見市の中学では、平日午後五時以降と土日の部活をやめ、外部コーチが教えるクラブとして活動。教員の多忙化解消の面からも評価が高い。愛知県犬山市でも一部の部活が地域クラブになり、部活終了後に地域の大人から指導を受けている。
早稲田大スポーツ科学学術院の中澤篤史准教授(身体教育学)は、地域クラブとの二枚看板で活動する部活は多いとする一方で、「生徒がやりたい範囲を超えた活動量になっていないか注視が必要だ」と過熱化に警鐘を鳴らす。
日本のスポーツ・文化活動の裾野を支える部活。社会情勢を踏まえ、さまざまな姿に変化し続ける。
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