◆定員割れ続き赤字に
十八歳人口が今年からさらなる減少期に入る「二〇一八年問題」。本紙が昨年末、中部九県の国公私立大に行ったアンケートでは、私大を中心に強い危機感が示された。受験者数が減り、本格的な淘汰(とうた)が始まるとされる中、大学の課題を報告し、今後のあり方について考えたい。初回は、私大二校が閉校に至った経緯から。
「学生を何だと思ってるんだ」。二〇〇九年冬、奥三河の山あいにある愛知新城大谷大(愛知県新城市)に怒声が響いた。一九九九年に短大として開校し、わずか十年で募集停止が決定。保護者が説明を求め教職員が対応に追われた。
同大は福祉の人材育成を掲げてスタートしたが、福祉の人気の落ち込みなどで定員割れに苦しんだ。二〇〇四年に四年制の大学を設置した後も解消されず、〇七年に入学者の定員充足率は五割を切った。募集停止後、教員の一部は去り、大学祭はなくなり、一二年度の最後の卒業生は十一人だった。当時を知るOBは「ショックだった。腹が立ったし、悲しかった。自分の経歴に良い影響はない」。
「山間部のキャンパスで苦労した」と元幹部。JR側に最寄り駅までの便数増を掛け合ったが、かなわなかったという。「中高に加え、大学も持ちたい思いを優先させたのかもしれない。福祉の人気急落は予想外で学生に申し訳ない」と運営していた尾張学園(愛知県豊田市)の関係者。「大学事業は赤字続きで、あれ以上続けると学校法人そのものの経営が危なかった」
「大学のある街をつくりたい」と新城市は同大を誘致した際、土地や補助金など約二十一億円を公金負担。一部を市債で調達し、閉校話が浮上したのは返済の最中だった。同学園理事を務めた穂積亮次・新城市長は「募集停止の話が出るまでは大学にお任せだった。悔いが残るし責任を感じる」と沈痛な表情で語った。
一三年に閉校した三重中京大(三重県松阪市)。募集停止が発表された〇九年四月末、入学したてだった会社員の高瀬章元さん(27)の大学生活は「この先どうなるんだろう」と不安の中で始まった。徐々に学生数も学食メニューも減り購買は閉店。「学祭の企画も人がいなくて、つらかった」
同大は一九八二年、梅村学園(名古屋市)が松阪大として開校。当時、県内には二大学しかなく県が三億円を拠出、市も敷地の一部として市有地を無償譲渡、六億円を補助し誘致した。大学は市や地元経済界と連携を深め、全国大会レベルの野球部やゴルフ部を持つなど魅力づくりに努めた。
だが、大学進学者の県外流出に追いつかず志願者は減り、二〇〇五年に校名を変えるも苦戦。〇九年春の入学者の定員充足率は八割弱に。学園広報は「当時の関係者がいない」と取材に応じなかったが、「学生が増える兆しはなかった。閉校は間違っていなかった」と同大関係者は吐露する。
地域への影響は大きかった。「多くの学生と年間数億円の消費が失われた。地域の雇用確保への影響もあった」と竹上真人・松阪市長。別の同大関係者は語る。「学生や地域の方々にご迷惑をかけた。卒業生の母校をなくして申し訳ない」
◆人気大学が入学者吸い上げ
文部科学省によると、二〇〇八年度以降に廃止が認可された大学は十九校=表。大阪国際大と統合した大阪国際女子大のように他大学と統合する事例もあれば、単独での閉校もある。
日本私立学校振興・共済事業団の調査では、定員割れの私大は一七年度、全国で39・4%=グラフ。十八歳人口が約二百五万人と一九八〇年以降で最多の九二年度より32・3ポイント悪化。定員充足率が、単年度で赤字になるかどうかの損益分岐点とされる八割を切る大学も15・5%ある。
人口減で学生の獲得競争は過熱し、愛知県の私大関係者は「偏差値がうちより高い大学がレベルに満たない学生までとってしまい、受験者層が減っている。うちは資金力が乏しく、新しい教員の雇用も人気学部の新設も難しい。本当につぶれるかもしれない」。
「危ない大学・消える大学」の著者で経済評論家の島野清志さん(57)は「人口増の八〇年代まで大学経営は黄金時代。今は当時の貯金でしのいでいる状態で、歴史が長い大学ほど財務的に強い」と解説する。
また、三重中京大を例に「財務的に余力をもって廃止し、影響を最小限に抑えたのは賢明ともいえる。今後は余力のある大学は統合や合理化で生き残りを図るだろう。一方、景気が悪くなれば受験者数や自治体の補助減に直結し、余力のない大学はより厳しくなる」とも。学生には「各大学のホームページで定員充足率や経営状況を見て、しっかり検討して、納得できる大学を選んで」と助言する。
(今村節、芦原千晶)
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