女たちが聞く軍靴の音 戦争と平和を考える
2022年4月30日 05時05分 (4月30日 05時05分更新)
沖縄の人々にとって、春から夏にかけた今ごろは、一年でとりわけ心が痛む季節といわれます。
アジア太平洋戦争末期の一九四五年、沖縄では激しい地上戦がありました。敗色濃い日本は沖縄を本土決戦の捨て石とし、住民を根こそぎ動員。米艦隊は「鉄の暴風」のごとく砲弾を撃ち込み、県民約十五万人が犠牲になりました。
そんな惨禍から七十七年後の今年始まったのが、ロシアによるウクライナとの戦争です。
日本政府はウクライナから脱出した避難者の受け入れを決め、那覇空港にも今月十日、戦火を逃れた避難者が到着しました。
街が破壊され、罪のない市民が犠牲になる。高校教師の伊波(いは)園子さん(37)=写真=は三歳になったばかりの幼い娘を抱き締めながら日本にたどり着いた人々の苦しみを思い、その一方で「顧みられない側」の命を考えていました。
ミャンマーの軍事政権下で弾圧される市民や地域紛争が続く中東やアフリカ、政府軍と反政府派との内戦が泥沼化するシリアの人たちです。ウクライナの人たちと同じような支援をしてきたか、避難者を受け入れ、戦争と弾圧に「反対」と声を上げてきたか、と。
伊波さんは、口にするのはつらいけれど、沖縄もまた顧みられない側にあると思っています。
沖縄は日本の独立回復後も本土とは切り離され、米軍の統治下に置かれました。七二年にようやく日本に復帰しましたが、米兵による犯罪や事故は絶えず、なお戦中のようです。伊波さんも本当の「戦後」をいまだ見ていません。
刻み込まれる被害記憶
沖縄では身近な土地や地名に戦争や米軍の事件、事故による犠牲の記憶が刻み込まれています。
伊波さんの地元うるま市の宮森小では五九年、米軍ジェット機が墜落し、児童や住民十八人が犠牲になりました。伊波さんが小学五年生だった九五年、一学年上の女児が三人の米兵にレイプされる事件が起き、二〇〇四年には友人も通う沖縄国際大に米軍ヘリが墜落。一六年には米軍関係者が二十歳の女性をレイプし、殺害する事件がありました。
最近では米軍基地から有毒物質「有機フッ素化合物PFAS」の流出が確認されています。早朝でも夜でも授業中でも、ごう音を立てて飛ぶ米軍機を伊波さんはにらみつけ、生徒の生活や学びに悪影響が出ることを心配しています。
日本政府は、こうした沖縄の苦悩に目を向けないどころか、沖縄を有事体制の最前線に組み込もうとしています。沖縄が「顧みられない側」にあるという伊波さんの思いは、沖縄が再び戦場になる恐怖と結び付いているのです。
普天間飛行場の代替施設として名護市辺野古に建設中の米軍新基地だけではありません。鹿児島から沖縄までの南西諸島の島々で、自衛隊基地が築かれています。うるま市勝連の自衛隊分屯地には南西諸島のミサイル防衛(MD)を指揮する拠点計画があります。
中国や北朝鮮への備えが名目ですが、自民党政権はロシアによる戦争を機に、軍備増強へのアクセルを踏み込んでいます。
基地反対運動への締め付けも強めています。
辺野古のキャンプ・シュワブゲート前などで機動隊員が市民を抑え込んだり、監視や取り締まりの対象にしたりしてきましたが、自衛隊も、警察や米軍と連携して対処する事態に反戦デモを加えていたことが、防衛省の作成資料から発覚しました。反戦運動に加わる市民を敵視することを隠そうともしない。軍靴の足音は確実に近づいています。
ウクライナで起きていることは決して人ごとではありません。日本でも世論が軍備増強一色に染まるのは危険です。不安を政治利用する人もいるでしょう。
沖縄再び戦場にしない
沖縄県内の研究者らの呼び掛けで一月に発足した「ノーモア沖縄戦 命(ぬち)どぅ宝の会」共同代表の宮城晴美さん(72)=那覇市=は「軍隊は決して住民を守らない、というのが沖縄戦や戦後沖縄の教訓です。軍隊が駐留すれば攻撃の標的になる可能性が高まります」と語ります。
宮城さんは言います。
「沖縄を二度と戦場にしない。加害の島にもしない」
その切なる願いに応えるのは、沖縄に米軍基地の痛みを押しつけ平和な暮らしを享受してきた、大多数の日本人の責任ではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿