生還の奇跡こそ戦争への戒め 横井庄一さん発見から50年、94歳妻「平和の願い語り継ぐ」
2022年1月25日 05時00分 (1月25日 05時01分更新)
終戦を知らずに、太平洋戦争の激戦地・米グアム島に二十八年間身を潜めた元日本兵、故横井庄一さん=愛知県佐織村(現愛西市)出身=が、一九七二年一月に島民に発見されて、二十四日で五十年となった。帰国後、七百回の講演などで語った過酷な体験は、高度経済成長真っただ中の日本に、戦争の記憶を思い起こさせた。半世紀の節目に、妻美保子さん(94)は「横井が生き残った意味をこの世に残すなら、反戦の気持ちを込めてあの人の人生を語り継ぎ、平和への願いを成就させるしかない」と誓う。 (曽布川剛)
横井さんは、米軍が一九四四年に島を奪還した後も投降せず、密林でカエルや川魚を食べて生活。「捕虜になるのは恥」という旧日本軍の心得を守り、一人で身を隠し続けた。戦後三十年近くたって見つかった五十六歳の残留日本兵は当時、世間の注目の的となった。
美保子さんは、横井さんの帰国九カ月後に、見合いで結婚。名古屋市中川区の自宅から、講演やテレビ出演などで共に全国各地を回った。帰国翌年のグアム再訪時は、横井さんが掘って暮らした洞穴にも入った。
「あんな場所、人の住む所ではない。横井の生還は一つの奇跡。日本人が戦争を忘れたころに、戦争をしてはいけないという戒めになった」と、一番近くで支え続けた夫の果たした役割を思いやる。ただ「あの人が、戦争の本当のすさまじさを語ったことはない」とも感じている。横井さんは講演で、密林でのサバイバル生活を語り、豊かになった日本人のぜいたくな暮らしを憂えた。一度だけ、現地人を殺したことをほのめかしたが、すぐ沈黙した。
「そんな番組は本当の戦争じゃない。見るな」。亡くなる二年ほど前、欧州戦線のドキュメンタリーを見ていた美保子さんを、怒ったことがある。美保子さんも、旧満州(中国東北部)で六つ上の姉を亡くしたが「平凡な戦争体験しかない私には分からない憎しみとか後悔が、あの人にはあった。一兵卒で敵に追われ、戦友がばたばた倒れ、ほうほうの体で生きながらえた。帰国してからの人生も孤独。すべて忘れ、人間らしく楽しく暮らしたかったんでしょうね」と推し量る。だから、還暦を過ぎ陶芸に没頭した夫と「戦争から離れたところで暮らした」。
それでも最愛の夫亡き後は、託された平和への願いをかなえるのに奔走した。洞穴を自宅に再現した「横井庄一記念館」を二〇〇六年から無料公開。「布団の上で死ねる自分は幸せ」といった晩年の言葉などで、平和の大切さを伝えた。一一年、帰国後の夫の暮らしを自身の言葉で書いた手記を出版。お墓の前には、夫がグアム島で生きるのに食べた小動物の供養塔も建てた。
「あの人は、誰もが愛し愛され、どの国も平和で仲良しな世界を築きたかった。その願いを伝え続けたい」。新型コロナウイルス禍もあり、記念館は休館中。今は京都市内の実家で暮らすが、利用するデイサービスで出会う同世代の戦争体験を聞き取り、新たな手記の執筆に生かすつもりだ。
横井庄一さん 1915(大正4)年生まれ。洋服仕立業を営んでいた38年に召集され、中国に出征。41年に再び出征し、44年からグアム島の防衛に従事。同島では約2万人の日本兵が戦死したが、ジャングルで生き続け、56歳だった72年に発見された。帰国の際「恥ずかしながら帰ってまいりました」が流行語になった。著書に、島での28年を書いた「明日への道」(文芸春秋)などがある。74年参院選に出馬し落選。97年に82歳で死去。
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